イカはいかが闘病記

脳出血で倒れたオジサンの闘病記です

8月30日 48歳脳出血で倒れました

2019年8月30日金曜日の21時過ぎ、いつものように夕食の片づけをしながら子供達をしかりつけていると家の電話に1本の電話が。


ナンバーディスプレイには見たことのない番号。いつもならそのままスルーをして留守電になるのを待つけれど、なぜか気になり電話に出てみると救急車から電話が。
「奥様ですか。ご主人が同僚の方と一緒にいるときに倒られました。病院に来て頂けますか」と。その時に主人の名前、かかりつけの病院名、病歴など個人情報などが聞けたので勝手に大丈夫と思い、子供達を残し私ひとり病院へ。


夜のバイパスを割と冷静にひとり車を運転していた。「あの人は大丈夫。個人情報もちゃんと伝えられていたし、持病の片頭痛か何かで運ばれたんだ」と思いながら。

 

でもその病院名を聞いた時、嫌な予感がしていた。

 

息子が約1か月前に救急車で運ばれた病院だったなと。息子と娘は2人共に剣道部。その息子が部活の最中に転倒し、救急車で運ばれた病院だった。

息子の時は土曜日の午後だった為、時間外診療を行っている病院を2人で探し運び込んだ。その病院の先生の診断でも大丈夫だろうと診断されたが、念のため専門医のいる今回の病院に息子は救急車で運ばれた。CT画像で確認しても異常がないし、本人も症状が軽くなったので10分も滞在せずに帰った病院。その時「今度何かあったら直接この病院に問い合わせればいいね」と言った病院だった。

 

病院に着くとすぐ先生のところに通され主人のMRIの画像を見ながら説明をひとりで受けた。

 

脳の出血が非常に多く、すぐに手術をしないと死んでしまう事。手術が上手くいっても感染症の問題、脳圧や脳の腫れを上手くコントロールしなければまた出血してしまうかましれないこと。そして手術が上手くいってリハビリが出来てもこの出血量を考えるとかなり重い障害が残るだろうとと。

 

なぜか冷静に聞けていた。

 

なぜならMRIの画像が衝撃的だったから。脳全体の4分の1が出血で白くなっており、頭蓋骨と脳の周りにも出血で太く白くなっている状態。付き添いで彼の病院に付いていった時に見たMRI画像とあまりにも違う。今回の画像を見ただけで「この状態でよく生きているな」と思いながらの説明だったので、冷静に聞けたのだと思う。

 

先生に「主人をお願いします」と言い部屋を出た。

手術の準備を待つ間、待合所で元同僚の方に話を聞き、家族に連絡と書類記入。話しを聞き終わり元同僚の方に帰って頂いた後、ひとり書類に記入をしている時に涙が溢れ出た。同じような書類に主人の名前と住所を何度も書かなければならない。書いているうちに現実なんだなと気が付いて。これから先どうしていいのかまったくわからなくなり不安で不安で。

 

そんな時に主人の父と妹が来てくれたので心強かった。手術前に主人に面会をしたが主人の体に触れながら「絶対に戻って来てよ」と話したということ以外あまり覚えていない。

手術は23時位からスタート。3~4時間と聞いていたので義妹と一緒に主人の思い出話や愚痴などを言いながら待合所で待った。2人で話をしていると気が紛れた。お義父さんは家族の部屋で寝たり起きたり。

 

深夜2時過ぎに手術が終わり先生の説明の為に部屋へ。Panasonic製の大画面のモニタを見ながらの説明。画像が多くデータが重い為に、先生がパソコン画面をクリックしてもなかなか開かない。大画面を4人黙って見つめていた。

画像が表示されると先生から画像を見ながら手術の説明が。手術は頭蓋骨を外して、出来る限りの出血を除去し止血できたこと。これから1週間~2週間が山で、頭蓋骨を外した状態で脳圧や腫れを上手くコントロールしなければならないこと。出血源を見つけて治療しなければならないこと。出血量が多かったのでリハビリしてもかなり重い障害が残るだろうというを告げられた。先生に「主人を宜しくお願いします」と言って部屋を出た。今の私には「お願いします」という事しかできない。無力だなと思いながら。

 

3人で主人との面会。集中治療室に入るにあたって面会は1日5人で家族限定だと。時間は30分と説明を看護師から受け病室へ。頭には大きいガーゼ、両腕には点滴、気管挿管されている。鼻や耳の中にも出血したのか血の塊が。手足は左右共にバタバタと動いていた。手や足をさすりながら「戻ってきてくれて本当にありがとう」と。このまま病院にいるのかと思ったが今日の面会時間時間まで会えないとの事だったので家に向かった。

 

帰りの車の中、子供達にどう伝えればいいのだろうと考えていた。子供は高校1年と中学2年。大人のようで子供だし、子供のようで大人。思春期の一番難し年頃。この現実を受け止められるのだろうか。色々考えたが主人、私、子供達これからの事を考えるとちゃんとすべてありのまま正直に話をするのが後悔しないのではないかと思いながら家に帰った。

 

1階には連絡を受けて駆けつけてくれた私の両親が居てくれた。子供達は2階で寝ていたので私の両親に今日の流れを話した。私の両親もかなりショックを受けていたが、2人共に仕事があるということで4時過ぎに家に帰っていった。

 

寝なければと思い目を閉じてても寝れない。涙が溢れて溢れて。